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☆☆☆森魔女サロン『PraaNa(プラーナ)』☆☆☆

森魔女サロン 『PraaNa(プラーナ)』をしているゆきよのブログです。ヒーリングの事や日常の事、楽しい事をゆっくり書いています。

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『森魔女ゆきよの手しごと』

 
https://morimajo.amebaownd.com/

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春は、山が豊かになります。

野草がいたるところで顔を出している。

自然の恵みをいただいて育つ。


今日、野草摘みにだいちゃんと一緒に行ったら、
「新芽とるんですね。なんだかかわいそうですね~」なんて言っていて、
本当だよね。長い冬をおえ、やっと顔を出した野草を摘んで私たちの体の一部になる。


野草だけじゃなく、野菜も、お米もお肉も・・・。

自然の力だけじゃなく、人さまのおかげで私たちが食べているのだ。




自分で野菜を育てたり、加工品を作ったり、草木染をしたり、野草茶を作ったり、、、

私たちが口にしたり、着る物になったり、、、それはとても手間隙と時間がかかる。






私たちは一人で生きているなんてそんな事はない。


色んな人や自然に関わって、私たちは生きている。




お金があったらあったで豊かにはなるからそれもありがたい事。


でもね、豊かっていうのは、それだけじゃない。


ちょっと立ち止まって周りを見渡すと、
本当に色んな豊かなことがたくさんあって、
感謝で溢れているのよね。


今日散歩をしたら、おじいちゃんの竹細工の技やを教えてくれたり、
おばあちゃんが育てた立派なほうれん草をいただいた。


人と繋がるって自然と繋がるって本当に素晴らしいギフトがたくさんやってくる。


ありがたくてしょうがないのだ。



ひとりでは気付けないことがたくさん溢れている。


それはね。

感謝の気持ちしかないのよね。


おばあちゃんの育てたお野菜は、とてもとても美味しくて、
心も身体も栄養がみなぎってくるの。


自然からいただいた野草たちは、
みずみずしくて、とってもエネルギーが強くてちょっぴり苦くて、
春になった体が喜ぶの。


椿のお花って食べれるんだって。
カタクリのお花が満開でそれは、とてもいい香りがして、
3つだけ摘んでお料理に添えよう。


今日も頂き物をたくさん。


ありがとう。ありがとう。










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魔女仕事。。。☆

魔女の仕事って色々楽しい。

魔女勉強をまとめながら、
久しぶりに『西の魔女がしんだ』の映画を見る。

この映画は何度見たことか。

自然が多いこの山奥でそんな魔女生活ができるなんて、本当に嬉しい。
魔女業は本当に色々ありすぎて尽きることがない。

私には、たくさんマイサンクチュアリがたくさんある。

この山奥にも、たくさんサンクチュアリの場所がある。



最近日が長くなってきた。

昼間の暖かい日には庭先で小鳥達が楽しそうに遊ぶ。
木々たちはもう蕾をつけている。

このキラキラした雪が溶けると、長い冬があけて、
新芽が美しい春が来る。

また春になると魔女仕事が忙しくなる。





動画はこちらで見れますよ~。
http://moviedougakan.blog.fc2.com/blog-entry-882.html

| 未分類 | 20:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ある素敵なお話。。。☆

P1230157.jpg


私は、神様とか宗教とかすきだけど、
信仰というよりは、色んな思想がすき。


色んな大切なメッセージがたくさんあるから面白い。


この観世音菩薩さまと、 ある病人のお話も面白い。




ある病人が、絶望の淵で、観世音菩薩にたずねた。


「観音様。なぜでしょう。私は、悪いことをしたわけではないのに、
不治の病を宣告されました。」
 

すると、観世音菩薩の声が聞こえた。


「そなたが生まれたのは、そなた自身が善をなしたからではない。
同じように、そなたが病に冒されたのも、
そなた自身が悪をなしたからではない。

人の生死の定めは、所業の善悪の結果としてあるのではない。」
観世音菩薩は、そう教えた後、次のように諭(さと)した。


「人の生と死は、与えられた定めである。
しかし、生きているかぎり、人生は自分のものである。
そなたが苦しむのも、生きている証である。
やり残したことがあれば、それを成しとげなさい。
思いを達成することは、人生を達成することである。」


観世音菩薩の導きに、病人は、
残された人生の先にも光があることを知った。


「ありがとうございます、観音様。嘆くばかりで、
せっかくの人生に悔いを残すところでした。私は、みずから生き抜く決意です。」

病人は、自分の人生をみごとに生き抜き、念願を成就した。






気持ちが優しくなる音、マントラ。

| 未分類 | 13:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『内観』するということ。。。☆

『内観』するといこと・・・自分の心を深く見つめるということ




まったく自分を見ていないことを知ったある日から、

めんどくさいくらい常に自分と向き合ってきた。
それは、時に苦しいときもある。



知らず知らずに蓋をしていた感情が出てきて、
自分の心に押しつぶされそうになる時もある。


でも、それは思い込みだと、
常に冷めた目で見ようと試みる。




『内観』


常に自分と向き合って、常に自分の中の宝物を探し続ける旅。


常に自分に問う。


そして、自分の中に最初からある宝物を信じ、栄養と与え続ける。


種から芽がでて、葉っぱが広がり、つぼみをつけ、
太陽の暖かい光で、美しく花開く花のように。


その花(本質)をいつまでも忘れないように。


ヒーリングをしているときに、
みんなの中のお花(本質)が美しくて光り輝き、いつもうっとりとする。


今はそれに気づいてないという人がたくさんいる。
でも、みんなそれぞれ、美しいものをもっているんだっていつも感じる。




本当の自分は自分の中にいる。


抑圧された無意識が持つ、いまだにみたされていない感情や欲求。
それは少なからず、生きていくことに影響があるような気がする。


それに向きあうときには、抵抗もでれば、恐怖もでる。


でもそれを乗り越えて本当の自分の欲求や感情と向き合うことこそ、
真の才能が発揮できて、幸せを得られるような気がする。


今まで無視していた自分と向き合うということは、
とても地道だし、時間もかかるし、
なにより、その根本的な部分にふれたとき、自分自身の抵抗や恐れがでてくる。



それに取り組むためには、心の準備が必要で、

「自分自身を知る旅に取り組む」という強い意図が必要だし、勇気も必要。


でも、自分のなかのきらめく宝物に触れたとき、
かたく閉じた心の扉が開いたときの温かさ、
尊さは、計り知れない。
平穏があり、驚きがあり、まるで見る世界が違って見える。


自分の人生は自分で見つめる。


そしてひとつひとつ、一歩ずつ前にすすみ、
少しずつ花開き、輝きますように・・・。


それに気づくためには、
少しの勇気とぜったい大丈夫と自分を信頼することと。


急がずに、ゆっくりゆっくり。

ひとつずつ感じて受け入れて変わっていく。



子供のようにワクワクして身軽になっていく。
きらきらと自由に舞い踊る。


そんな旅。





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